2012年8月29日水曜日

宣伝活動、被爆者の方のお話し

 パソコンの調子が悪くてまとめて書いています。25日、26日は宣伝活動と赤旗新聞のおすすめです。熱田区千年や南区新瑞橋での消費税増税実施させない署名の訴えにたくさんの方が応えてくれました。小学生の女の子が「小遣い減っちゃう。これ以上上がるのはイヤ」と言って署名していました。高齢の方も主婦の方もみんな「家計がたいへん」と言われていました。世論調査では「暮らしに影響が出る」と答えた方が92%におよんでいます。中小業者の方も「営業が続けられない」と嘆いています。日本の産業を支えている技術の宝庫、中小業者が減 
っていけば経済活動そのものが壊れてしまいます。何としても実施させない輿論を広げていきましょう。「消費税に頼らない別の道があります」と具体的な提案をおこなっている日本共産党を大きく伸ばしましょう。


26日朝は熱田区六番町での署名活動のあと原水爆禁止世界大会に参加された方の報告と長崎で被爆された方のお話を聞きました。「3月11日の大震災で、黒い津波が家々を押し潰す様子を見て「早く逃げて」とテレビに向かい叫んだと。とっさにコンビニ駆け込み「東北の人が困るといかんから、これを送ってちょうだい」と言って募金を従業員に託したと言われました。そのあとすぐに福島第一原発の事故を見、「東京の水道水から安全基準を超える放射性物質が検出され、お母さんたちが粉ミルクを溶くのも恐れパニックに陥ってた。母になった時の記憶がよみがえり、我が子に母乳を与える時間も幸せに浸れず不安と闘っていた。子どもが体調を壊すと病院に連れて行くのが怖く、心のなかで不安を感じていた」と。被爆者と知られるのが怖く名古屋に移ってきた。夫には被曝のことを隠し続けてきた。54歳で亡くなった夫の位牌に毎日花をそなえて詫びているといる。昨年11月、「もう隠さない」と姉と「病気は被曝のせいだと国に認めて欲しいと訴訟を起こされました。最後に姉の体が動くうちに長崎に帰り、原爆死没者の名簿に納められているだろう両親と見つからなかったいとこのテル姉ちゃん、幼友達のチズちゃんに「私は生きてもうこんな年になったよ。今がんばっているのよ」と話したいと言われました。長い長い67年です。こんな思いをさせてきた原爆、核兵器はなくさなければなりません。もちろん原発もなくさなければなりません。最後に「原爆と人間」のパネルを一部紹介します。